テニスを始めたきっかけ
小学校6年まで野球が大好き野球少年でした。投げることも打つことも得意で少年野球では右投げ右打ちでピッチャーをしていました。
小学6年の冬に母に誘われて新しくできた会員制のインドアのテニスクラブで母とラリーをしていたとき、バックが打てないので、右のボールは右手で左のボールは左手で、両方ともフォアハンドで打っていました。
元々ご飯を食べるときや字を書くときは左だったので、左の要素もあったのだと思います。
しかし当時は左利きであることが良くない世の中でした。無理やり右に直されたりもしましたが、結局無意識で左を使っていました。
母とラリーをしていたとき、テニスを見ていたそこのコーチに声をかけられたのです。
本気でやってみないか?と。しかも左で・・・
テニスは左が有利だからという理由でした。左の要素はあってもボールも投げれないし、箸とえんぴつ以外は使ったことが無いのです。
私の田舎は冬は雪で野球ができないので、テニスなら冬でもインドアで出来るんだと思い、やってみることにしました。
テニスをなめていた
心の中では、テニスなんて女性のスポーツくらいに思っていましたが、あまりのハードさに驚きでした。
中一の夏に試合に出てみたら、レベル差に驚き衝撃を受けました。
当時、私の田舎ではテニスのジュニア大会は高校生だけでした。それ以下の子供はテニスをやっている子供がいないのです。
そのため、いきなり地域の予選無しで、二次予選のような大都市での予選大会なのです。そこで勝つと全国大会です。
中一で負けた衝撃と悔しさをバネに、中一の終わりの冬休み期間を使ってレベルの高い関東に行って猛練習をしました。
悔しくてスイッチが入った
たまたま親戚が趣味でテニスをしていたので、ジュニアに力を入れているクラブを紹介してもらえたのです。
春休みもゴールデンウイークも、休みになると関東に行って毎日練習をしました。
お陰で中二の夏の試合は優勝して全国大会に出場することができました。
全国大会でもレベルの差を感じ、さらに猛練習をしてレベルアップすることだけを考えて毎日を送っていました。
そのころから左足首に違和感を感じて、練習量が増えると足首が腫れてしまいアイシングと湿布で足首の腫れを抑えながらの日々でした。
高校では神奈川の湘南工大付属に入り、荏原湘南スポーツセンター(SSC)で猛練習をして、そのころから全国大会で上位に入れるようにもなりました。
足に異変が
神奈川予選から関東大会を優勝して、全国大会ではシードをもらえるようになったのですが、練習をすればするほど足首の腫れが治らなくなっていました。
オリンピック選手が行くような有名治療院にも通っていたのですが、足首は治らなかったので我慢してテニスを続けていました。
大学も日本大学にスポーツ推薦をもらい入学できました。練習漬けの日々でインカレや大学王座にも出場しましたが、体育会の長時間のハードな練習に足の限界を感じていました。
たくさん練習すると足首が腫れて試合で動けない状態なのです・・・
毎日が捻挫しているような痛みで地面に足をまともにつけられないのです。
痛み止めの注射をして試合にも出場していましたが、先生に「このまま続けていたら骨がボロボロになるよ」と言われ、テニスに限界を感じ始めていました。
テニスが向上する「楽しさ」を伝える道へ
ただ、テニスが好きだから選手として出来なくても、テニスが向上する楽しさを人に伝えることができると思い。就職は高校の時にお世話になった神奈川の荏原湘南スポーツセンターで社員としてコーチをさせてもらいました。
何年かして実家に戻り、テニスとは無関係な仕事をしていたのですが、地元でテニスの恩返しをしたいと思い、テニススクールを運営しながらコーチとして、テニスが向上することの楽しさを伝えていました。
しかし、2019年にテニススクールが立ち退きとなってしまい、現在はブログでテニス愛好家の方へ、テニスの技術が向上するための情報発信をしています。
最近のコメント